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タカシの外資系物語

学習雑誌休刊 と 外資系 ( その 1 )2010.01.26

相次ぐ“学習雑誌”の休刊

突然ですが、少しショックだったことがあります。少し前に新聞で読んだのですが、“学研 「科学」 と 「学習」 休刊へ”の記事。

「えっ ! 「科学」 と 「学習」 なくなっちゃうの ? 」 小学生の頃、付録の実験キット目当てに、「科学」 を購読していた私。本誌は書店での直販ではなく、女性販売員による訪問販売だったため、発売日になると、「まだか、まだ来ないのか・・・ はよ来てくれやーーーっ !(T-T)」 と玄関で待ちわびた日々が思い出されます。
また、こんなニュースも・・・ “小学館の学習雑誌 「小学五年生」 「小学六年生」 が休刊、87 年の歴史に幕を閉じる ! ” (T-T)(T-T) 同じく小学生の頃、付録欲しさに、少ない小遣いをはたいて小学○年生を購読していた私(また、付録かい ! )。いずれにしても、寂しい話です。


2つの休刊ニュースに共通するのは、以下の背景です。

・ 近年の少子化やインターネットの普及などで発行部数が激減していた
・ 子供たちの価値観が多様化し、学年別の総合雑誌が時代のニーズに合わなくなってきた

ううぬぅ・・・ 言われてみれば、その背景は理解できなくもない。しかし本当に、「子供たちの価値観が多様化」しているのでしょうか。そして、これは日本だけの事情なのでしょうか。
私はこのことを、アメリカ人と中国人の同僚に、確認してみました。

 

私 「・・・ということで、日本ではメジャーで歴史のある学年別の学習雑誌が、相次いで休刊になったんだよ・・・ (T-T)」
アメリカ人の同僚 「学年別の学習雑誌? なんじゃ、それ。 教科書のことか ? 」
私 「いやいや、教科書じゃなくってさ、市販の雑誌だよ、Magazine ! 」
アメリカ人の同僚 「MANGA(マンガ)か ? 日本じゃ、学年別に読むマンガが決められているのか ? 」
・・・ どうも、アメリカでは学年別の学習雑誌というのは存在しないようです。

全く同じ雑誌を、同じペースで読む ?

中国人の同僚 「仮に、タカシの言う学年別の学習雑誌があったとしよう。で、小学生はそれを読んで、何をするんだ ? 」
私 「何をするって、勉強したり、流行の記事を読んだり・・・」
中国人の同僚 「それを、どれくらいの時間をかけてマスターするんだ ? 早い人なら、3 ヶ月ぐらいで 1 学年分を終えるのか ? 」
私 「(そんな先の号、発売しとらんわーっ ! ) その学年の生徒は全員、毎月発売される同じ雑誌を読むんだよ」
中国人の同僚 「なんじゃそれ ! 出来のいい子も悪い子も、全く同じものを同じペースで読むのか ? 俺なら、小学 3 年生の時点で、小学 6 年生までクリアするがな、フハハ ! 」
わけのわからん自慢・・・ 単に、ノスタルジーに浸りたかっただけなのですが、2 人の同僚からはえらい剣幕で攻め込まれてしまいました。ま、アメリカや中国では同様の雑誌が存在しないところにきて、私の英語力の問題もあり、うまく伝えられなかった点が大きいのですが・・・


同僚 2 人との会話を通して、気付かされた点があります。それは、「出来のいい子も悪い子も、全く同じものを同じペースで読む」ということ。同僚の指摘の通り、毎月毎月、自分が属する学年の雑誌を、購読者全員が読み続けていました。その結果、同じ学年の生徒には、全く同じ記事内容がインプットされ、発売時の翌日には、日本中の小学校で同じ話題に沿った会話がなされていたわけです。


同僚によると、中国では小学生の段階から、いわゆる「飛び級」が認められている地域もあるということで、そういう背景の違いはあるでしょう。しかし冷静に考えてみると、学校でも同じことを教えられ、家に帰ってからも同じ雑誌を読んでいる・・・ 結果、同じような思想の「小学○年生」が、大量に量産されていたわけです。官民あげて、その政策を推進し、われわれは小学生の段階で、その量産システムに乗せられてきた・・・ 考えすぎかもしれませんが、言われてみると、少し異常な感じもします。

日本人は 「○歳限定 ! 」 に敏感 ?!

中国人の同僚 「そんなシステムを採っているから、日本人はみんな同じで、個性がないって言われるんだよ ! 」
その通りかもしれません。学習雑誌の休刊理由に、「子供たちの価値観が多様化」とありますが、最近になって急に子供の価値観が多様化したわけではなく、これまでは「多様化しないように、無理やり押さえつけていた」とも考えられる。その抑圧された状態が、インターネットの普及などを通じて爆発した結果、今回の休刊につながったのかもしれません。


私には 2 歳 3 ヶ月の娘がいます。そろそろ幼稚園のことを考えようかということで、最近いろんな幼稚園の見学をしたり、プレスクール(お試し入園みたいなもの)に通わせたりするようになりました。そこで気付いたのですが、入園するまでは統一感なく好き勝手に遊んでいる子供が、幼稚園に入った瞬間から、「これしちゃダメ、あれしちゃダメ」となって、1 つの枠組みに組み込まれてしまうということです。「 3 歳なら、返事と自分の名前が言える」「 5 歳なら、脱いだ服をたたむことができる」となり、「小学○年生なら・・・」「中学○年生なら・・・」と、学年毎にしなければならないことが、明確に決められています。そこには、「これはできないけど、ある部分に強烈な個性がある」ということを評価する視点は、基本的に存在しません。年代別のクライテリア( Criteria :基準)を満たさない者は「×」で、クライテリア以外のことでカバーしようとしても、認められない世界というわけです。


同じ風潮は、われわれビジネスパーソンの世界にも存在します。「 35 歳までにやっておくこと」「 40 歳課長が実践すべきこと」・・・ このような、年齢を限定した本が、日本ではよく売れる。このことについても同様に、外国人の同僚に確認してみると、「“課長が実践すべきこと” ならわかるが、どうして“ 40 歳”じゃないといけないんだい ? 」 という返答が返ってきます。まさにその通りでして、30 歳だろうが、50 歳だろうが大きなお世話であり、年齢を限定される必要性は一切ない。しかし日本では、年齢を限定することによって、消費者の購買意欲に訴えかける「何か」があるわけです。このことも、これまで脈々と受け継がれてきた、“「小学○年生」政策” が影響しているのではないでしょうか。


一方で、“「小学○年生」政策” が功を奏してきたことも事実 ! でなければ、日本における奇跡的な経済発展は説明がつきません。その政策が、ここ 10 年ほどの間に破綻してきたことも否定できない。これは、外資系企業に所属していると、痛いほどわかります。
次回のコラムでは、「ビジネスの現場における “「小学○年生」政策” の成功と失敗」についてお話したいと思います。

(次回続く)

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この記事の筆者

奈良タカシ

1968年7月 奈良県生まれ。

大学卒業後、某大手銀行に入行したものの、「愛想が悪く、顔がこわい」という理由から、お客様と接する仕事に就かせてもらえず、銀行システム部門のエンジニアとして社会人生活スタート。その後、マーケット部門に異動。金利デリバティブのトレーダーとして、外資系銀行への出向も経験。銀行の海外撤退に伴い退職し、外資系コンサルティング会社に入社。10年前に同業のライバル企業に転職し、現在に至る ( 外資系2社目 )。肩書きは、パートナー(役員クラス)。 昨年、うつ病にて半年の休職に至るも、奇跡の復活を遂げる。

みなさん、こんにちは ! 奈良タカシです。あさ出版より『外資流 ! 「タカシの外資系物語」』という本が出版されています。
出版のお話をいただいた当初は、ダイジョブのコラムを編集して掲載すればいいんだろう ・・・ などと安易に考えていたのですが、編集のご担当がそりゃもう厳しい方でして、「半分以上は書き下ろしじゃ ! 」なんて条件が出されたものですから、ヒィヒィ泣きながら(T-T)執筆していました。
結果的には、半分が書き下ろし、すでにコラムとして発表している残りの分についても、発表後にいただいた意見や質問を踏まえ、大幅に加筆・修正しています。 ま、そんな苦労 ( ? ) の甲斐あって、外資系企業に対する自分の考え方を体系化できたと満足しています。

書店にてお手にとっていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
奈良タカシ

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